ふと死にたくなるときがある。
というか、最近は割と頻繁にそれはやってくる。
「死にたい」
うっかり口に出る。
簡単に呟いちゃう。
「そんなこと言わないで」って言われる。
「そんなこと言わないで」って言われたいんだ、みたいな言葉を見聞きしたことがある。
じゃあ、なんで「そんなこと言わないで」って言われると、余計に死にたくなるんだろう。
心配されたいわけじゃない。
愛されたくないわけじゃない。
私は思うんだ。
「死にたい」って言うのは、呼吸とおんなじなんじゃないかと。
「死にたさ」は、二酸化炭素なんじゃないかと。
「生きたさ」は酸素なんだと。
頑張って生きると二酸化炭素になっちゃう。
だから吐き出すんだ。
音楽は酸素だ。
漫画は酸素だ。
映画は酸素だ。
演劇は酸素だ。
私にとって、これらが私の「生きたさ」だ。
でも、どうあがいても「生きたさ」を取り入れられない時がある。
そんなときに呼吸器を付ける。
あるいは薬を投与する。
酒と、タバコ。セックス、よりは電話とかデートの方が、吸いやすくなる。
酒とかタバコとか、溺れるって言い方をする。
違うんだ。溺れてるのは今なんだ。
息ができないのは今なんだ。
冷蔵庫の中が缶でいっぱいなのも、カバンの中にいつもライターがあるのも、溺れてしまったときのためなんだ。
この世界は難しくて、中々溺れても、死なない。死にたいけど、死ねない。
死んでしまうと、迷惑を、心配を、かけてしまう。
一人で死ねたらどれほどいいことだろう。
誰にも迷惑も、心配もかけずに、死にたい。
そう思ったときに、肺がいっぱいになって、つい溢れてしまう。
「死にたい」
二酸化炭素を吐くのは、酸素をいっぱい吸ったからだ。
死にたさは生きていることの表れだ。
生きているから死にたい。
生きていなければ死にたくならない。
死んだら、死にたいなんて言えない。
どうやら私はまだ死んでない。
私は今日も呼吸をしている。